Quantcast
Channel: 妙観堂つれづれ日記
Viewing all articles
Browse latest Browse all 119

因果の理を繋ぐのは「縁」  Sさんとの思い出

$
0
0


私が比叡山から長浜市川道町の「豊覚山東雲寺」に入寺したのは昭和57年春のことです。
先代の住職が長い闘病後に亡くなられ、兼務を頂いたご住職や檀信徒の要望で先住と親しかった師僧に後継住職をお願いしたいとの要請があってのことでした。
まずは、住職の見習い小僧として入寺、地域や風習等々何も解らない頃の事でした。
檀家さんのお参りから戻りますと、頭を丸刈りにした方が上がり口の部屋に座っておられ「ただいま」との私に「おかえり」と声を掛けられました。
見たことのないお方ですが、御檀家さんか近所のお寺さんでしょう。
「申し訳ありません、留守にしておりましてお茶の用意をします」(この日はお寺に誰も居らず、その頃は鍵も掛けずとも安心な時代)
お茶の用意をし、「長い間お待たせしたのではありませんか」知らない方とも言えず、部屋に上がって居られるのに「どなたでしょうか?」とも。(私はどうも人の顔と名前を覚えるのが不得意なもので)
するとその方は東京から来たSです「新しい住職が決まったと聞いたので訪ねました」との事。これがSさんとの初めてのお出会いでした。
お話の内容は、Sさんは東雲寺の檀家であった、東京に出て呉服商を営んでいた。以前は非常に景気が良く事業も順調だった。70才を過ぎて緑内障を患いほとんど視力が無くなり今日も訪ねてくるのが大変だった。家族もいろいろな事が重なり離別した。
目を患い思うことがある、若い頃、魚を捕ることが趣味で隨分と殺生をした。その報いで目を患ったのだと思う。等々。私はそんな事はありませんよ、緑内障も治療法があるそうですし難しい病気とは聞きますが目薬等を忘れずに大切にして下さい。等々
お昼になりましたので「Sさんお昼でも」と御檀家さんからの頂き物と、朝の味噌汁の残りで2人で昼食。
食事をしながらSさんの故郷「川道時代」のお話を聞かせて頂く。知らないことが多く
「あーそうですかー」と私。で「住職は何歳ですか」私「昭和27年生まれです」
「お若いですなー」「いいえ、Sさん私は住職見習いで、まだ住職ではありません」
等々、取り留めもない話が続きました。
Sさん「そろそろ帰らないと」私「米原までお送りしましょう」「いや米原は遠いから長浜で」「車ですから乗って頂けば変わりません」
と米原駅までお送りをする事になりました。門前から車庫までSさんの手を引きご案内をしたのですが、隨分と緑内障が進行しているご様子でした。
「もう琵琶湖の鴨は北に帰り居ないでしょうね」と、ほとんど視力の無いであろう目を琵琶湖に向け「実は今日東雲寺に寄せて頂いたのは~と」言い出しにくそうに話し出されました。




                                         次く


Viewing all articles
Browse latest Browse all 119

Trending Articles