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Channel: 妙観堂つれづれ日記
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明けまして御目出度う御座います。(旧正月)恩師の文章がありましたので転載の転載です。

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『諸人(しょにん)の魂霊亡神(こんりょうもうしん)在って 行に随って 転生するを説く』
 

法句経生死品(ほっくきょうしょうじぼん)ダンマパーダ

人間の霊魂はその人の行い(業)によって死後もまた種々の世界に生まれ
 
変われるということである。
 
今時こんなことを信ずる人はあまりいないかも知れない。
 
然しながら現代人は深く見直してみるべきである。
 
 「人間は死んだら終いや。生きている時が花や」と思っている人の心はどうしても
 
刹那的な欲求(目先の欲望)に走り易くなってしまう。
 
或者はまた胴欲(欲深く非道なこと)が深くて、果ては殺人、強盗等の悲劇を起こす。
 
そのことが分からないと思っていても、遂に捕まってしまう。
 
そして自分の一生が暗い雲に覆われて世間からも白い目でみられるようになる。
 
さて、このようなことが何故「輪廻転生」に関係あるだろうか。
 
それは即ち、自分の行った結果が原因となってまた次の結果が生じることになる。
 
つまり、悪い事をしたら、それが原因となって次にまた悪い結果が生じる。
 
いわゆる悪循環が続いていく。だんだん不幸のどん底に陥って悩み続ける。
 
 「行に随って転生する」というのは、人の死後から始まるものではなく、すでに生前から
 
始まっている。ここに気づく人は余りいない。勿論、善業についても道理は同じである。
 
 死後の世界があるか、どうかかなどは人間の頭ではわからない。
 
ただ各人が考えているに過ぎない。これを迷信と言う。
 
仏法には間違いがない。仏の教えを素直に受け取って考えてみるところに
 
わが心が開けてくる。
 
死後のことを踏まえて自分の行動をとる者には先祖のことも当然考えられる。
 
独り善がりにはならない。
 
 葬儀というものは、死者の告別式や世間に対して告知するばかりではない。
 
悲しみ惜しむと同時に、その人の生前の業を顧みて人柄もうかがわれる機会である。
 
さして冥福を祈るのが社会通念であろう。
 
このように考えてみたら、それ自体が輪廻転生の意義を示している。如何?

《京都・大原野、十輪寺法主 泉浩洋(いずみ こうよう)》
湘南世代2008・12月第3号「50代からの大人の読本」より
 
15才から3年間ご教示頂きました。出家も恩師が機縁でした。

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