仏教(仏の教え・仏になる教え)では、2500年前にお釈迦様が亡くなられてから
彌勒菩薩(兜率天と言うところで、どうすれば人々を救えるかを思案中)がこの世に
現れる56億7千万年後までを無仏(この娑婆世界に仏がいない)の時代であるとします。
お地蔵様はこの無仏の世界に出現し、お釈迦様に六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天人)
の世界を輪廻(巡り歩き)し、苦しみに喘ぐ衆生(生きとし生けるもの全て、最近は人間謳歌主義のためか
人間のみを指す間違った考え方をする邪見がある。)を教え導き、救済するようにと依託をされました。
お地蔵様は、正式には「地蔵菩薩」と言います。「おじぞうさん」「じぞうさん」「じぞう」等と親しみを込めて
道端に石に刻まれたり、簡単なお堂に祀られ全国津々浦々に居られます。特に関西では「地藏盆」として
「お盆」とは別の行事として子供達の「守り神」のようなお方です。姿を見て頂いても解るようにように
普通の「菩薩」はきらびやかな装飾で身を飾り、如何にも格好が良いのですが、お地蔵様は飾りが無く
頭も丸刈りで、我々僧侶と同じように(声聞形)され袈裟を身にまとい右手には錫杖を持ち、左手に宝珠との
簡素なお姿が一般的かと思います。
古くは、7才までの子供は神の子として大切にされ、亡くなっても葬式をせず神の元に戻ったとして、無縁仏としてお祀りされました。
私の住む滋賀県湖北地方では今でも、子供は神からの授かりものと「子供をもらう」「彼処のお家で子供をもらった」との表現をし、
親はもちろん家族・親戚縁者、地域でお祝いし大切に育てられます。(「こわい」近所のおじちゃんやおばちゃんが数は減りましたが今でもいます。私も
「こわい」和尚さんかも知れませんが?悪い事は悪いとみんなが教えてくれます。良い事はみんなが褒めてくれます。)
お地蔵さんの話に戻りますと、お地蔵さんは地獄から天上までをくまなく行かれて人々を救済されるとの事から、子供を亡くされた親が「どうか可愛い子供を頼みます」
との強いつよい思いから「おじぞうさん」に託され「水子」(みずこ)との「ご縁」ができたものかと思います。
水子供養で有名な関西のE寺院は、私がお教えいただいたS先生が隨分と昔に発案されたと先生からお聞きしました。
水子(みずこ)と言う言葉も本来は無く、水子(すいじ)孩子(がいし)と呼ばれ1年以内に亡くなった嬰児(えいじ)
や死産された胎児を意味しました。現代日本社会では考え難いのですが昭和初期・大正・明治・江戸それ以前と海外の発展途上の国々では
、今でも「餓死」との信じがたい亡くなり方をしています。
豊かな時代・社会に住む我々には「死」は遠い存在であり、「老いて死ぬ」事すら忌避される、そんな感じすらします。
先日も「年を取ったら死ぬんですよ」と言っていますと「そんなことを言ったら嫌われますよ、和尚さん」との弟子からの注意。
「何時までも元気で若々しく」「お元気ですね~お若い」と90才の方に、が受ける時代。本当でしょうか?
「妙観堂」の子供を抱いておられるお姿の「おじぞうさま」は木曽川の洪水で子供さんを亡くされた皆さまが、その供養にお祀りされた
と伝わります。その後も不慮にも「お子達を亡くされた方や子供の無事な成育を願う」皆さまに今も厚い信仰を頂いております。
「子を想う親心」親になって初めて感じ知るものでしょう、「心こころ」は見えないだけにやっかいですが「感じる・想う」事が今こそ大切な時代かと。
「忘れてよいこと」「忘れてはいけないこと」「伝えなければいけないこと」「伝えなくてよいこと」
「恩」「因の心」私たちのこころ「心の因」私たちの伝えるこころ、を今一度想う時代かと、少し遅すぎますが今ならまだ間に合うかもしれません。
どうぞお地蔵様を御拝礼下さい。
手作りのお地蔵様です。です。
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お地蔵様と子供のご縁
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