年末は日の短いせいかアッと云う間に一日が終わります。
郵便受けには「喪中年賀欠礼」のハガキが。
毎年その数が増えてきます。
私自身その様な年になって来たんでしょうね。
そんな中、大学入学いらいの友人のハガキがありました。
喪中につき年末年始のご挨拶をご遠慮申し上げます
妻○○が11月18日にがんにより64才にて永眠いたしました。
告別式は妻が望んでいました家族だけで行いました生前賜りましたご厚情に深く
感謝致しますとともに今後も変わらぬお付き合いをお願い申し上げます。
平成28年12月
住所・名前・電話番号
この友人の妻○○さんは、下宿が近所で彼女は当時珍しい「○○マンション」に
私は四畳半の安下宿。
長男さんは、奈良県の有名進学校からK大医学部現役合格の俊才。
順風満帆だったはず。
ハガキを見て直ぐに電話を掛けました。
電話口の友人の落ち込み様はなく、かける言葉が見つかりません。
「年内に御参りに行くよ、ちゃんと供養してやりや」が精一杯。
早く時間を採ってお線香の一本でも上げに行かないと。
だんだんと「此の世」よりも「彼の世」での知り合いが多くなりました。
先人が「人は病気で死ぬのでなく、寿命で生を終えるのです」
「極楽は日ごとに近くなりにけり、哀れうれしき老いの暮れかな」と。
合掌 慈敬記