4月22日から26日大東亜戦争・沖縄戦殉難者慰霊行脚第15回に参加後
今日6月23日は大東亜戦争で沖縄地上戦が終結したとされる日です。
(実際には昭和21年1月に投降するまで潜伏し戦う者もいた)
摩文仁の平和祈念公園では「沖縄全戦没者追悼式」が行われました。
「戦争は無い事が良い」「平和が良い」。おそらく日本人の多くはそう考えているでしょう。
私も戦後、進駐軍が日本から去った昭和27年に生を受け、「平和」を享受してきました。
ここに1冊の本があります。その中に
少年兵はなぜ故郷に火を放ったのか 沖縄護郷隊の戦い
KADOKAWA2115年5月25日初版発行
「国を護るということと故郷を護るということは違う。沖縄を自分たちの手で護るというのは分かる。だが、日本も沖縄も護れなかった。あの戦争は何だったのか。我々は何のために故郷を犧牲にしてまで戦ったのか。その答は出ていないし、誰にも出せない。ただ、絶対に自分の故郷を戦場にしてはいかん。あの頃、やまとでは本土決戦という威勢のいい声もあったらしいが、それは地元を戦場にしたことがないから言えることだ」
「昔は『国破れて山河あり』といったが、あの戦争を見ても分かるように、今は『国破れて山河なし」だ。戦争は始めた以上は絶対に負けてはいかんし、自分の国を戦場にしてはいかん。わしは日本が好きだ。戦後七十年近く経った今、戦死した人々の思いを忘れず、真に日本を愛するものが国家を創るべきだと思う 」
と元「護郷隊」で(陸軍中野学校出身者に指揮された、15才から18才の沖縄の少年1003名で結成された秘密部隊、主にゲリラ戦に従事)生き残った古老の言葉が述べられる。(護郷隊1003名中162名が戦死)
故郷を護るとは、どういうことか?
国を護るとは、どういうことか?
戦後71年、朝鮮民主主義共和国による、横田めぐみさんの「幼女誘拐」や
新型ミサイルの発射。
近隣諸国の覇権主義拡大。かたや「一国平和主義」を唱える人々
本当の「平和」とは?
私の生命ある限りの課題かと思います。日本の未来にと続くであろう「生命」に、そして先の大戦で亡くなられた御魂に答えるためにも。
合掌 慈敬記