Yさんは段々と年を重ねました。ある時私が「Yさん、元気なうちは宜しいが人生には終焉がありますよ。コロッと逝ければいいですが?お一人なんですから考えないと」
それから数ヶ月後「住職、見て欲しい子がいるんだけど。私より10才年下の子で」
と女性の紹介を受けました。Yさんが喜寿のころでした。
私はYさんより10才年下なら古希どう見ても?
私の母の方がYさんより2つ年上ですし、御檀家さんの女性の方と比べても?
女性にお年を聞くのは失礼でしたが「何年のお生まれですか?」「9年です」とのお答え?Yさんは大正15年生まれですから確かに10才年下。
しかし??もう一度失礼ですが~と言いかけると、その方が「大正9年です」と。
Yさんと私、顔を見合わせだんまり。
女性の方が仰るには「Yさんに何度も言うが昭和と思い込んでいるんです」とのこと。
それから、二人の楽しい同棲生活がスタートしました。
お隣のSさん「昼間から2人で風呂に入りキャッキャッとしてる、孫の教育に悪い。住職から注意して下さい」
Yさんに注意。「わかりました」との返事。お寺に来ることが少なくなりました。
それから1年ほど後、「住職、H医院に行って○ィアグラを欲しいと言ったら、あなたは独身だから出せませんと言われた。住職からH先生に出すように頼んで欲しい」とのこと。
これには返事がしばらくでず、「Yさん、年をとったんですよ、自然がいいし老いるとは、そんな事じゃないですか?無理をしないほうが良いと思いますよ」
Yさん「あのこが~」
一度、御一緒に来て下さい。
後日、お二人に「老いることを納得いただいたかと思います」
ただ、還暦を超えた自身を顧みると「言い過ぎ」だったかとも思いますが。
もっとYさんと彼女を傷つけない言い方もあったのかと。
それから5年お二人の楽しい同棲生活に終焉が来ました。
彼女に認知症が出て、彼女のご家族が施設に入れられたのです。
Yさんは何度か施設を訪ねたそうですが、Yさんの顔も忘れてしまったそうです。
「あんなになるんだな~」と寂しそうに話す、悲しげなYさんでした。
それから数年、Yさんを訪ねる方もなくなりました。
ときおり、お寺に訪ねて頂きましたがその姿はかってのプレイボーイとの面影のないものでした。
平成23年12月2日夕方、誰にも看取られることなく86年の生涯を閉じられました。
お一人の住まいのため部屋が散らかり、ご近所の方がどうしたものかと思案のなか「枕經」をさせて頂きました。
私「お手数ですがYさんをお寺に運んでいただけますか、お寺で葬儀をさせていただきますので、宜しくお願い致します」
隣近所のみなさんと縁者のお方がお手伝い下さり、簡素な祭壇をもうけ通夜・葬儀を執り行いました。
お参りいただき御焼香をいただいたのは「隣近所と縁者の方そして、Yさん宅でのお仲間のみなさんでした」
明年Yさんは「七回忌」をお寺で迎えます
難しそうで申し訳ありませんが、お釈迦様は人生は「四苦八苦」と言います、「絶対苦」と。時代がどう変わろうと、科学や医術がどれほど進歩しようと「人間」として生まれたからには逃れることが出来ない「絶対苦」だと私は信じます。
近年はこの「絶対苦」をあたかも乗り越えられるかの如きことを吹聴することを多く見聞きしますがこれらは大きな誤りです。
「悠々たる三界は純ら苦にして安きこと無く」と発願をされ、最澄は18才で当時未開の比叡山に入山し御修行をされました。それから1200年、「絶対苦」は今も変わらないでしょうし逃れられないものです。これからもこの先も。
「四苦八苦」を誤魔化すことなく、きっちりと認識しこれを越える事が大切かと思います。むかしのお年を召した方は、身近に、そして自然に「人が老い、病んで、そして死んでいくこと」を知っておられたかと思います。
また、生きることも「楽は苦の種、苦は楽の種」と如何に大変なことかも知っておられたように思います。
この豊かな現代を生かし生かされている、私も「卵・バナナ」の貴重さを知っていました。が忘れかけているような時があります。
「五欲」色欲,食欲、財欲,名誉欲,睡眠欲は人間の(色・声・香・味・触)根源的な自己にたいする「愛」からの欲望です。
「少欲知足」「我唯足を知る」ことも大切な事ですし、「渇愛」をせず「愛」に留め置くことも娑婆を「楽」に生きる方法なのかと思いますが、いかがでしょうか。
境内に今年は遅い「五月」が散りかけですYさんとの「お茶」もいい思い出です。
画像お借りしました。。
以前の現代版イソップ物語「アリとキリギリス」4月16日記を見ていただければ幸甚です。 合掌 慈敬記